Kao's cozy time

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確かに存在していた、ということ。

こんにちは!

Kaoです。

 

数えてみるともう15年前になりますが・・・。

スピルバーグ監督の「A.I」という映画を観たときのことを思い出しました。

けっこう昔の映画ですが、人気があったのでご存じの方も多いかと思います。

ストーリーは近未来の世界で人工知能を持ったロボットが存在する世界です。

人間の感情を持つ人口知能を持った人間そっくりのロボット、デイビットがある夫婦の家に行くことになります。その夫婦の間には病気で目覚めることのない息子がいて、母親のモニカは息子の代わりにデイビットに愛情を注ぐようになります。

デイビットもまたモニカの母親の温かい愛情を感じ、幸せな日々を過ごします。

ところが、奇跡的に息子が目を覚まし夫婦の元に帰ってきます。

息子は自分の母親の愛情を受けているデイビットを疎ましく思い、彼を追い出そうと自分がデイビットに襲われそうになったように見せかけます。

母親のモニカは息子の言葉の方を信じ、デイビットを森に捨ててしまいます。

捨てられてしまったデイビットは「自分がロボットだから捨てられてしまった。人間だったら捨てられずにモニカのそばにいられる。」と考え、人間になれる方法を考えました。

彼はいつかモニカに読んでもらった絵本の「ピノキオ」を思い出し、ブルーフェアリーを見つければ自分を人間にしてもらえると考え、ブルーフェアリーを探す旅に出ます。

旅の途中でデイビットはジゴロ・ジョーというロボットに出会い、何度も危険な目に遭いながらも一緒に旅を進めていきました。

 

苦楽を共に過ごしながらブルーフェアリーを探すデイビットとジゴロ・ジョーの間にはいつしか友情のようなものが芽生え始めます。

しかし、ジゴロ・ジョーが捕まってしまい、デイビットと別れてしまいます。

別れの瞬間、ジコロ・ジョーがデイビッドに言った最後の言葉が、

「I am, I was...!」

僕は生きた。そして、消える・・・。

 

翻訳家の戸田奈津子さんが訳したこのシーンのセリフは、当時映画ファンの間で相当熱く議論されました。

この映画は人間のエゴで作りだされたロボットの儚い人生を表しているので、このセリフはロボットではなく人間と同じように生きた「僕は人だ、人だった」と訳すべき!という意見や、

直訳の「私はいる、私はいた」のままでいいのではないか?

「僕は確かにここにいる、ここにいたんだ!」

「僕は、僕だった・・・」

などさまざまな意見が交わされ、当時のネットの映画掲示板では今の時代で言う「炎上」状態でした。

それほどまでに、みんなが印象に残るシーンであったのは間違いありません。

シンプルなセリフだからこそ、観る人の感じ方によって解釈もそれぞれだったのでしょう。

映画の翻訳もたくさんの人の意見も、このセリフに対するそれぞれの思いが詰まっているようで、こんな捉え方もあるんだと、どの意見も妙に私は納得してしまいました。

私にとってはどの訳し方も正解のように思えました。

 

 私はこの映画が特にお気に入りという訳ではありませんでしたが、このシーンはとても心に残っていました。

 

 

*****

 

 

私の伯母は絵を描くことが大好きでした。

私は子供の頃、伯母の家に遊びに行く度にたくさんの彼女が描いた絵を見るのが楽しみでした。
伯母の絵を真似てスケッチしたり、伯母に描いて欲しくて草花を摘んでプレゼントしたりして、喜ぶ彼女の顔を見るのが大好きでした。


約20年ほど前に彼女の念願であった個展が開かれることになりました。

当時私もその個展を観に行きましたが、子供だった私も伯母の描いた絵画が飾られているギャラリーに足を踏み入れるとなんだかワクワクしました。
家に置いてある時とは違い、綺麗な額縁に入って余裕のある空間に飾られている絵画は、心なしかいつもの絵画よりも優雅で澄ましているように見えました。

澄まして飾られている絵画を我が子のように愛おしそうに見る伯母の嬉しそうな顔を見て、私もなんだか嬉しくなったことを覚えています。


時が経ち、私も学生、社会人と大人になるにつれて伯母との交流もだんだん疎遠になっていきました。
伯母もだんだん絵は描かなくなっていたようで、私は彼女が絵を描いていたということもすっかり忘れてしまっていました。
伯母に会うときは冠婚葬祭の時がほとんど。
最近は体の調子が悪いといってあまり会わなくなっていました。

 

そして、今年2016年1月10日、突然伯母の容体が悪化したとの連絡が。

人工呼吸器をつけるとのことでした。
母が駆け付けた時には、まだ意識があったようですが、久しぶりに見る伯母の姿はびっくりするほど変わり果てていたと・・・。
涙ぐむ母の表情で深刻な状態なのだと悟りました。

 

それから2週間後に私がお見舞いに行ったときは、母から聞いていたので覚悟はできていたつもりだったのですが・・・最後に伯母に会った時とは全く違う姿になっていました。

 

伯母さん、久しぶりに会いに来たよ。

私のこと、わかる?

 

伯母はつらそうな表情でしたが一瞬だけ目を開けてくれました。

 

伯母さん!私だよ!会いにきたんだよ!

久しぶりだから、忘れちゃったかな・・・?

 

病室には人工呼吸器の音が響き、それ以上の彼女の表情を感じることはできませんでした。


信じたくはないけど、もう長くはないかもしれない・・・。
嫌でもそんな思いが頭をよぎる。

 

もしかしたら、これが最後の伯母との思い出になってしまうかも・・・。

 

 


そしてその1週間後の1月31日に、彼女は帰らぬ人となりました。

 

 

・・・あれから1か月半が過ぎ、先週末は伯母の四十九日でした。


供養が終わり、お浄めの場所へ向かうと、そこにはたくさんの伯母の描いた絵画がありました。

 

 

伯母の絵を見た途端、一瞬にして忘れていた20年前の思い出が蘇りました。

 

個展を見に行ったときのワクワクした気持ち。

伯母の嬉しそうな笑顔。


そしてこの絵画たちは紛れもなく、彼女が確かに存在していたという証。

 

ふと・・・ずいぶん昔に観たあの映画のワンシーンのセリフが私の頭に響いてきました。


「I am, I was...!」

 


伯母の声が聞こえるような気がしました。
「私は確かにここにいる、ここにいたんだよ。」

 

わかってるよ。これは伯母さんの存在の証だね。

あなたは確かにこの世界に存在し、生き抜いたんだね。
悲しんでばかりはいられないね。こんなにも伯母さんの存在を遺してもらったんだから。

 

この日は朝から雨が降っていて寒かったのに、いつのまにか雲が晴れ、気がつけば太陽が眩しいくらいの春のような温かい陽気になっていました。

 

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もう寒い冬は終わって、暖かい春になろうとしているんだね。

 

 

・・・今度ゆっくりこの絵画に合う額を探しにいこう。